エンシャント観光で3本の指に入るものといえば、まずノトゥーン神殿のステンドグラス。
そして墓地を擁する広大な庭園。そして魔道アカデミーだろう。
バイアシオン一の学府とも言われるこの大学はエンシャントの中枢を担う優秀な人物を数多く排出しており、
今や大陸中からの学徒を受け入れ、学部も魔術やその研究だけではなく薬草学から生物学、
化学、はては商業学に至るまで多岐にわたっている。
入門希望者のための体験入学などもあって、
いささか商業主義に走りすぎているという先人達の苦言もあるようだが、
今日もアカデミーの門は将来に野望を抱く若者や、研究の場を求めてやってきた学者の卵たちなど、
才気に満ちた活気にて賑わっている。
そんな魔道アカデミーなのだが現在は大規模な改装中で、
研究棟のうち2棟が使用できず、本来は講義に使われる校舎の半分がその不足分にあてられるという
不便を強いられているのだとか。
敷地内の至る所で見かけられるそれとしれたローブ姿の研究員や生徒に尋ねれば、その愚痴を事細かに、
かつ大いなる憤慨を持って説明してくれるだろう。
白布で覆われた下には無残に破壊された校舎があり、
その犯人こそ最凶最悪の劣等生、ユーリスという名の少女の仕業であることを…

「少女と言うにはちっと無理があると思うんだな」
宿屋に設えられたバルコニーの椅子で寛ぎながら、
やはり少女と言うにはやや年齢を重ねたように見える女冒険者が呟いた。
彼女こそ昨今、ギルド内でその名を多少は知られるようになったという冒険者のぞむである。
活動的に切りそろえられた栗色のショートヘアと、女性にしてはきつめの眼差しや主張の強めな鼻梁、
長身から繰り出されるハスキーで嗜みのない口調が少女というよりは少年を思わせる。
そしてその対面で頬を膨らませている金髪の少女の佇まいときたらどうだ。
一見良家の子女を思わせるドレスも過剰なほどのフリルに覆われていてやや品性が欠けるきらいがある。
腰まであるハニーブロンドの金髪は艶を放って渦を巻き、陽光の下では後光を放つほど見事なものだが、
その頭頂に乗っているのはドレスとはどこかちぐはぐなフリル飾りとリボンである。
雪のように白い肌、夢見るように輝く透明感のある蒼い双眸と染まり始めたリンゴのような頬は
実に少女らしい愛らしいものだが、総和してみるとなぜか強烈な違和感を放つのである。
同じカテゴリーからチョイスしているのに統一感がまるでない。それこそが噂の劣等生ユーリスその人なのだった。

「ユーリス、君、年ごまかしてない?」
「失礼しちゃう!!!こうみえてもれっきとした16歳ですよ!ぴちぴちなんだからっ」

良く言えばよく通る声、悪く言えば甲高い大声がバルコニーを通して宿屋中に響き渡る。
そんな彼女の風貌は、確かに少女趣味をもった妙齢のご婦人が漂わすファッションセンスに符合する所がある。
しかしフリル満点な布切れに包まれた身体は確かにまごうことなき少女のそれなのだ。
抗えぬ違和感はそこからくるのだろうか。

「確か魔道アカデミー出身だったよね。16歳で入れるもんなの?」
頭から爪先まで見回すのぞむの疑いの眼差しなどまったく意に介することなく、
得意げにユーリスがあまり凹凸のみられないアバラ…もとい胸を張る。
「前に主席で卒業した人なんて15歳で入学したんですって。
私もちゃーんとその人と同じ試験をとおって入学したのよ。………下から2番目だったけど」
おそらくその主席というのはザギヴのことではないだろうか。
正真正銘優秀であることが門外漢でもわかる才媛の事を思い浮かべ、さすがののぞむにも苦笑が浮かぶ。

会話に気を取られ乾きかけているサンドイッチをほお張りながら苦笑のまま訊ねる。
「……で?その優秀なアカデミーの生徒さんが私に何の用なのかな?」
「何の用だなんて!わたしたち仲間じゃないですかぁー。
その友情の証として!のぞむさんにいいものを作ってきたんですよぉー」

【作ってきた】。
のぞむの苦笑いが不安に慄くそれに翳る形で取って代わる。
…いらない。もしその思いを顔面から察するに長ける人物が居たならば間違いなくそう読み取った事だろう。
「…食べたら爆発するクッキーとか?」僅かに椅子を引いたのはいつでも逃げ出せるようにするための冒険者…
いや、ユーリスを知るものの防御機構だった。

「きゃっ。それもなんだか楽しそう。でも残念。ちょっと違うんです。……のぞむさん」
さりげなくアカデミーでの戦歴を交えた皮肉な問いにもまったく気づく、もしくは気にする様子もなく、
椅子を引いて退いた相手を追うようにしてユーリスがのぞむの顔を覗き込んだ。

「…………な、なに……?」

テーブルセットが置かれたバルコニーとはいえ広さには限度がある。
手摺に追い詰められる形でユーリスと対峙する着席ののぞむの面持ちにはさらなるおびえが浮かんでいる。
「…のぞむさん。あなた、今恋してるでしょう!」
ぶほ、と飲み込みきれずに居たのぞむの口内のパンのくずが盛大にユーリスに向かって噴きかけられた。
もちろん顔を近づけていたユーリスはきゃー、いやー、と騒がしくフリル満載のハンカチでそれを拭い、
抗議の眼差しを投げた。その先には気管に入りかけたのか身を折って咳き込むのぞむの姿がある。
「い、いきなり何を言うのユーリス……」
やっと収まった咳に声をかすれさせ少女の顔を見上げるのぞむの頬は、
咳によるものかほんのりと染まっており、それはユーリスをして指摘させるに十分な朱の色でもあった。
「ほらぁー。やっぱりそう。前々からそうじゃないかと思っていたの。大丈夫。私はのぞむさんの味方よ」
このままではいつものように畳み込まれてしまう。ぶり返してきた咳を苦しげに飲み込んでから身を正して反論するのぞむ。
「勝手に決めるな!何を根拠にそんな事…」
反論はしたものの否定までは出来なかったようだ。
間抜けな癖に相手の虚を突く事にかけては抜け目のないのがユーリスの特性の一つでもある。
のぞむの秘密を読みとった敏もまさにそんな特性ゆえと言っていいかも知れない。
びっと相手の目に指を突き出し仁王立ちになる。噴き出されても避けられるように間合いに気を使いながら。

「そのうるんだ目!それこそがまさしく恋する女の目よ。…素敵」

恋に恋する少女とはこうしたものなのか。
あきらかに咳こむことで潤んだ目で呆然とユーリスを眺めるのぞむには想像もつかない思考が眼前に展開されつつあった。
そんな眼差しにも当然お構いなしで、どこから出したかユーリスの手に一本の丸底フラスコが握られている。
その底に見るものすべてをギョッとさせる深く沈んだ濃紫の液体をおどろおどろしく湛えながら…
身の危険を感じ椅子を払いすばやく室内へ逃げ込もうとするのぞむの腕を、
いつもの魔法少女とはおもえない身のこなしでユーリスががっしりと掴む。

「どこへ行くんですかぁ?まだ話の途中ですよ!」
「ないっ!話なんかないっ!」

振りほどこうとするのぞむの腕を思いがけない力でなお抑えながら
ユーリスがあきらかにヤバそうな色のフラスコを眼前に突き出した。
「やっと調合に成功したんです。アカデミーとアミラルではちょっと失敗しちゃったけど…。
やっと出来上がったんです。その第一号を是非のぞむさんに試してもらいたいの!」
生命の危機を目前にしながらもつい好奇心を覗かせてしまうのは人間の悲しい性なのだろうか。
「なんで私だっ!…ていうか、それはなんなの?」
よく聞いてくれました!とばかり目を輝かせユーリスが効果BGMさえ感じさせる声を張り上げた。

「惚れ薬試作第一号、ですっ!」

「んなもんザギヴに飲ませられるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

喉から搾り出すような叫びが宿屋とその周辺にこだまする。
そこに至って漸くのぞむの腕がユーリスの手から解放されたが、
続け様に今度はユーリスのかなきり叫びが遠慮なくびりびりと響きわたった。

「きゃーーーーーーー!のぞむさんったら、ザギヴさんが好きだったのね!!!」

あまりの押し付け展開につい口を滑らせてしまったのだろう。
自らの失態に気づいたのぞむが顔色を失いながらユーリスの口を塞ごうと大慌てで手を伸ばす。
口元を手で覆われながらもなおもきゃーきゃーと騒ぐユーリスの動きがふと、止まる。


「……………ところで、ザギヴさんって、誰?」


加入間もないとはいえパーティーメンバーの名前さえろくに覚えていなかったユーリスに気を抜かれる形で、
のぞむは部屋に戻っていってしまった。
その後を、いい男なのか、年齢はいくつかと性懲りも無く問いを投げかけながらユーリスが追いかけていき、
バルコニーには例のおぞましい色の液体のフラスコのみが残された。

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先ほどよりも少し陽が傾いたのだろう。
フラスコの丸みを照らす光もやや弱まったようで、液体の紫がさらに黒味をまして沈んでいく。
そこにはいつしか、こめかみに手をやってそれを眺めやる長身の女性の姿が映っていた。

「………私、この旅に随いてきて良かったのかしら……?」
ため息とともに邪悪なフラスコの前でひとりごちるその影こそ、
15歳という最年少でアカデミーに入学したというかの人であった。
こめかみに添えていた白い指を、何の気紛れかふっとフラスコへと伸ばす。
午後の陽をボンヤリ映すシルエットをそのまま指先でなぞって、
ある一点でびくりと手を引いた。まさに爆発するのではないか、と怖れるその動きである。
女性は苦笑いを浮かべ、軽く頭を振ると室内へと再び立ち去るのだった。

 

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